釣趣徘徊(ちょうしゅはいかい) 著者 松井謙介
釣趣徘徊(ちょうしゅはいかい)
著者 松井謙介 岳洋社(前・関西の釣り社)
平成2年10月1日発行
この本は、著者である松井謙介さんが「月間、関西の釣り」に載せた釣行記から選び出された話をまとめたものです。
しかし、ただの釣行記ではありません。
そのことは、この本の一文を見ると良くわかりますので、引用させていただくと、
「
いくつか思いつくままにペンを走らせてみたが、私たちの趣味の釣りは、釣りすることで味わう楽しさとは別に、釣り竿やハリとはまったく関係のない、違った楽しみを与えてくれる。これも釣りがもつ効用というのであろう。」
この分の通り、松井謙介さんは釣りの楽しみを実釣以外にも持つ方だと思われます。
なので、収録されている釣行記にも、釣りに伴う人々との交流などが多く含まれます。
この本を読むと、どこかへ遠征へ行きたくなる。そして、そこの土地や人々と交流も含めて楽しみたい。
そう思わせてくれる本です。
また、とてもうちあたいさせられた言葉があります。
それは
「
釣りとは味わうものである。味わうとは得るものであって、失ってまで得るものではない。我々の生命はそんなに軽かろうはずがない。」
この一文です。
私と同じように、うちあたいさせられる釣り人がいるかもしれません。
釣果だけを求めて、疲労感を貯めこんだり、モラルに反する行為をしたり、最悪の場合、危険な釣行をして命を落とすこともあるかもしれません。
あと一つ、心に残るというか、考えさせられる項目がありました。
それは、釣りのライセンスについてです。
釣具店では、外国人が釣り具を購入する際に、日本で釣りをするのにはライセンスが必要か?と聞かれるそうです。
それくらい、外国においては釣りには免許が必要であり、ルールを守らなければならなく、ルールを破ると罰則が与えられるそうです。
日本にも、釣りのライセンスが必要ではないかと問いかけています。
こころの本当の所は、そういうライセンスなどナンセンスであると思っているそうですが、釣りを守るため、海を守るために、
「釣り人による釣り人の為の自主管理方式」として、壊れ行く自然を守るための資金源として、ライセンスが必要ではないかと訴えています。
このことにはとても考えさせられました。
とても日本、とくに沖縄は釣り人にとっていいところです。
そして、ほぼどこの海岸でも、釣りをすることが出来ます。
一方で、誰でもどこでも釣りができるために、モラルが無かったり、必要以上の魚を持って帰ったりするなど、
配慮に欠ける行為があらゆるところで見られると思います。
とくにごみ問題は深刻ですね。
しかし、私が一番必要だと思うのは、キャッチ&リリースだと思います。
そう思ったのは、アメリカにいるグルーパー(アーラミーバイ?クエ?)の多さとその大きさです。
アメリカでは、昔から漁の対象魚で、1980年代には、80%も減少したそうです。
なので、1990年から、捕獲禁止にしたところ、なんと現在では漁師が獲物を横取りされて困るほどこの魚が増えているそうです。
いつもこのように釣れるかはわかりませんが、大量にかけています。
そして、船上にあげることなく、リリースしています。
まあ、この本でも書かれていたのですが、一番の海への負荷は漁業者であり、遊漁者ではないと思います。
しかし、そういった保護活動を漁業者が言い出し始めて、あとに釣り人に押し付けられるよりも、先に釣り人から動くことが大切であり、それが釣り人を守ることになる。と述べられていました。
まあ、長くなりましたが、釣り人ならば、釣れない時に考えるような釣りの未来の事、人々との出会いの事、そういった釣りの明るい部分と暗い部分を内容濃く書かれているのがこの「釣趣徘徊(ちょうしゅはいかい)」です。
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